2009年"肉の年"の 最後の月の29日"肉の日"に、私が考えるお肉のことを綴ります。
このテーマを書くのに、かれこれ一年かかりました。
おバカな小さい脳みそで ああでもない、こうでもないと一年考えてきました。
断肉をした時期もあったし、もどき肉を極めようと思ったりもした。
家庭もあるし、人付き合いもあるし、ヴィーガンにはなれないし...
食べるだけじゃなく、革靴を履くし、毛皮もまとう。
なかなか解決できなくて、モヤモヤしてはっきりしませんでしたが、
最近やっと自分の中で 自分なりの答えが出てきました。
一匹のうさぎを、大切に愛情を込めて毎日お世話して看病して、
命の尊さを感じ 生きていたのに、食事の時は 他の動物のお肉をパクパク食べるって...と、
少し前までは、自分の行動と思いに矛盾があることに違和感を感じてたのですが、
それは動物を家族にしてしまった私のせいであって、
もともと人間は肉食だということを理解し、その考えは変わっていきました。
その当時 友達が言っていた、"例えば、自分の手で殺せるものなら食べてもいいと思う"という
言葉に深く納得したりもしました。だから、魚や鶏くらいは...なんて。
旦那さんが狩りに行ったら、豚くらいは食べれるのかな、なんて思い込ませたり。
でも、私自身、オーガニックや体のことに気を使い始めてから、
どんどん体がピュアになってきて、必要以上のお肉をいただけなくなりました。
それまでは、お米のように毎日お肉を食べていたのですが、自然とお肉が要らなくなっていった。
まず、スーパーのパックに入ったお肉が怖くなった。
動物の命がこんなに安いなんて。
ここに並ぶ動物たちは、狭い小屋にぎゅうぎゅうに詰め込まれ、
農薬まみれで 遺伝子組み換えの餌を食べ、運動もできずに太らされて、
弱った体に 抗生物質と成長ホルモン剤(ステロイド)を投与される。
そんなストレスだらけで薬漬けのお肉を 毎日食べていたと思うと ぞっとします。
ヨーロッパでは1988年から、ホルモン剤の投与が禁止されているらしいですが、
日本ではまだ使用してるし、輸入しています。
今は、私はあまり食べませんが、我が家のお肉メニューの時は、
もちろんオーガニックのお肉をできるだけ買うようにしています。
フランスでは、オーガニックのスーパーが至るところにあって、
普通のスーパーでも オーガニックの食品やお肉が 手頃な価格で手に入るようになってきました。
今年は フランス国家が学校給食にオーガニック製品を導入するキャンペーンを始めたようです。
でも、やっぱり全てをオーガニックのお肉にするのは、経済上難しいので、
最近 そういう時は、Label Rougeを、できるだけ お肉屋さんで買うようにしてます。
スーパーのパック肉が 気持ちが悪くて。
トレイに入ってラップで巻かれてること自体、環境によくないと感じていたし、
なんとなく お肉屋さんで買うと、「ありがとう」の気持ちが増す。
牛、豚、頭のついた鶏、子牛、羊、目の付いたウサギ...
赤く染まったいろんなお肉を前にして 名前を呼んで注文する。
そこで切ってもらう。包んでもらう。
その作業ひとつひとつを自分の目で見て 感謝の気持ちが生まれてくる。
私は、そのほうがいい。
お肉が、"もの"として扱われすぎてるような気がします。
植物だって命はあるし同じだけど、動物は人間と同じ 血を流す。涙も流す。
お肉を食べるな、と言ってる訳じゃないです。
どういう想いを持って いただくか。
想っていただくのと、何も想わないでいただくのとは 違うと思います。
どうか、動物たちへ、ひとつの命をいただくということに 感謝して、
大切に食べてもらいたいです。
ニコラウス・ゲイハルター監督の "いのちの食べかた" という映画のDVDを持っています。
野菜やお肉がスーパーに並べられるまでの過程を淡々と映したドキュメンタリー映画ですが、
始めは、動物が食肉になるまでの"脅し"の内容だと思って、ベジタリアンになる覚悟で見ました。
スポンジでできた土、ビニールハウスで電気の光で育つピーマンや、
元気に咲いた黄色いひまわりの花が、一瞬にして枯れ葉剤で茶色になっていくさま、
産む機械と化した鶏たち、人工的に妊娠させられる豚たち。
ベルトコンベアーで運ばれ ワクチンを打たれるヒヨコたち。
生きた状態で吊られ 頭部に電気ショックで意識を失わされて 血抜きした後、
機械によって皮を剥がされる牛たち...
でも、私が感じたのは、食べものへの感謝の気持ちのほうが強かった。
日本の素晴らしい言葉「いただきます」の奥深さ、意味を考えさせられる映画です。
そして、この作品は ナレーションも音楽もないアート作品のようで、
見る側に答えを考えさせてくれます。
お肉の問題は、他にも環境問題、飢餓問題とたくさんありますが、
"お肉を食べない人の理由"という分かりやすいサイトがあります。
興味がある方は 見て下さい。
今日は29日、2009年最後のお肉の日ですね。
返信削除私は、どこかにも書いていたかも知れませんが、子どものときの方がお肉を食べられませんでした。生理的に駄目だったのです。理由はわかりませんが、「より人間に近いから」かなと今では思っています。
今でもスーパーの精肉売り場は五感を閉じて即効で通り抜けます。
高校生の一時期、動物性のものを全く口にしないときが1,2年ありましたが、医師にコレステロール不足で血管やホルモンに影響が出ると言われました(その通りだったのですが)。
それでも、自動的に出された時を除いて、積極的には食べられません。お肉を食べると言うことは、時として私に根源的な怖れを呼び起こすからです。理屈では説明できません。
体質も関係しているのかもしれません。私の知っているお肉を食べない人の風貌の特徴として、女性的(男女関係なく)、色白、華奢、肌がきめ細かい等の類似点が見られるように思います。先天的か、お肉を食べないことによる後天的なものかわかりませんが…
私は、映画「いのちの食べかた」の一部を見ただけで、その後しばらく卵が食べられなくなってしまいました。見たいのは山々なのですが、全部見たらショック死してしまいそうで。いつか勇気を振り絞ってみてみたいと思います、感謝の気持ちがよりわくとするのなら。
すみません、私もレポートみたいになってしまいました^^;
食べ物はただのモノとしてでなく、命を以って我々に生きるためのエネルギーを分け与えてくれていることを忘れてはいけないと思いました。
チカちゃん
返信削除お肉を食べる理由も食べない理由も人それぞれ。
それでいいと思う。
私も一人暮らしだったら きっと食べない。
日本人の体は肉食に向いてないって説があるけど、私はそう思う。
縄文時代から 食べていたらしいけど、それは貴重なものとして
ありがたく食べてただろうし、肉中心ではなかったはず。
今の人達に、ベジタリアンになれとは言わないけど、
”常食”ではなく、たまに ありがたくいただくぐらいになったらいいな。
成長ホルモンのこととか調べてて、
牛乳を飲まない私の胸が小さいワケが分かったよ。笑
本当、チカちゃんの言ってた”謝肉祭”、日本でも行うべきだと思う。
はじめまして。ヨシミと申します。
返信削除いろいろ考えさせられる内容でしたので、コメントさせてください。
私が10年前に肉を食べるのを辞めたのは、現在の大量消費主義社会で、
食肉となる動物をわたしたちがどのように扱っているか、
効率化を求めた工業畜産が、環境や畜産動物、人の体にどのような問題を及ぼしているか知る機会を得たからです。
それまでは、はずかしながら、真実を見る勇気がありませんでした。
わたしも命の食べ方を見ましたが、ナレーションもインタビューもないので、
観る側の受け取り方はほんとうに様々でしょう。
わたしは食べ物となる生き物をわたしたちが命ない物のように扱っていて、
ショックを受けました。
いのちの食べ方の公式サイト内の監督のインタビューを読んで、
観る側の自由な理解だけでなく、作り手が映したかったことについて
知る手助けになりました。
食肉の問題については、Yuiさんも書いていらっしゃるように、
環境、飢餓の問題ともつながりがあり、
私たちの健康を考える上だけではなく、”この世に存在する生き物のひとり”としてのモラルを問いていきたい、と近い人々と話をしています。
生き物をいただきます、と感謝して食べるのは大切なことだと思いますが、
消費者の私たちがそれを手に取るまでの過程について関心を持ち、
改善してほしいことには声を挙げていくこともとても大切なことでは、
と思います。
長々と失礼いたしました。。
les devoirsの記事 いろいろ勉強になります。
考えるきっかけを与えてくれてありがとうございます。
ヨシミさま
返信削除コメントありがとうございます。
私の生活するパリには、”お肉屋さん”が街中にあって、
鶏はもちろん、姿まるごとの豚や毛付きのうさぎの肉(死体ですね)などが
並んでいます。もちろんパックに入ったものじゃないです。
日常生活の中で、私たちの食べているお肉が”動物”であることを知る機会が
日本よりは少しでも多くあると思ってます。
カトリックでは謝肉祭、イスラムの地域では犠牲祭というのがあり、
(子供の前でも構わず羊や牛を殺めて、食べるそうです。)
日本を始めとした大量消費主義の国では、
”お肉”と言って、瞬時に動物の姿や殺されて行く姿は連想されずに、
”安いのがいい”とか”どの部分がおいしい”を連想してしまうような人たちが
たくさんいるということは、悲しいですね。
お肉がスーパーに並ぶまでの過程を学ぶ機会が必要だと思います。
日本の教育に、「食」の授業があったらいいですね。
話は少し違いますが、
こちらでは20時の食事の時間のニュースで、
イラクなどの人たちが撃たれる瞬間や、血まみれで死んでいる姿をそのまま放送しています。
日本じゃ考えられない光景が ゴールデンタイムに流れます。
それを見て私たちは、お肉を食べる食べないの問題以前に、
「ここで食卓を囲んで おいしいご飯を食べられることが どれだけ幸せなのか」を
考えさせられます。
ヨシミさんがお肉を食べなくなった10年前は、
私はまだなにも知らないでマクドナルドが大好きでした。
少しずつ、みんなの意識が変わっていくことを願います。
このブログは まだまだ偏っていると思いますが、
ふらっと私のノートを見て 反応してもらえたら嬉しいです。
これからもよろしくお願いいたします。
Yui さま
返信削除すぐにご意見を聞かせていただきありがとうございます。
実は私もパリで暮らしております。
Yuiさんの言う通り、みんなの意識が変わっていくことを願います。
何より私自身が自分の頭で考えることを、疑問を持つことを忘れないように。。
確かに、世界で起きている悲惨な出来事を前にして
「ここで食卓を囲んで おいしいご飯を食べられることが どれだけ幸せなのか」を考えさせられます。
ただ私個人が思うのは、今目の前にある平安がどんなにかけがえないことなのか、世の中にはどんなに辛い状況下に立たされている人がいるのか、を考えさせられることと、
今の食環境を改善するためにできること”私たち消費者の選択肢”について
考えることは、同時にできると思うのです。
それは貧困や飢餓、戦争を生みだす現在の社会システムについて
問うことにつながっていくのではないでしょうか。。
私たちは感謝、そして更に一歩のことが、それができる状況化には
ないでしょうか。
肉を食べるか、食べないか、の問いの前で考えを止めてしまうのは
残念です。これからも周囲の人と食の問題について、
いろいろ意見を交換して、自分のできることをしていきたいと思います。
また長々とスミマセン!
考える場を与えてくださり、感謝しています。
ヨシミ
ヨシミさま
返信削除パリに住んでらっしゃるのですね。
そして私よりも遥かに前に このようなことに気づいてらっしゃる方が
近くにいらっしゃることが嬉しいです。
"私たち消費者の選択肢"。
そうですね。私たちの大きな課題です。
真実を伝えないメディアに頼っていては この先 大変なことになります。
お肉が貴重な食糧である環境(アフリカや、北国の文化等)もありますが、
私たちの住むこの環境には お肉以外にもたくさんの恵みがあり、
肉食を減らしていくことは充分可能だと 私も思います。
”肉”という商品がありすぎです。
スーパーの肉コーナーは大きすぎると思います。
私は一人だったらベジタリアンですが、
やはり家族や 周りとの生活もあり、お肉を食べて育ってきたので
完全断肉はできません。が、
少しずつですが人々に伝えていきたいと思っています。
私が強く思う「感謝して食べる」とは
=「命をいただくことをもっと考える」ということです。
肉を食べるなと言う権利はないので、
感謝することで、粗末な肉食が減っていくことを願うことしか
今の私にはできません。
環境問題や飢餓問題としては、お肉だけの問題でなく、
遺伝子組み換えや農薬のことも 同じように考えています。
多少しなびた野菜であっても、Bioのスーパーで買うようにしています。
少しでも地球にきれいな土が蘇るよう、貢献したいという思いを込めて。
近い将来、こんな気持ちが なにかカタチになって、
大きくなっていくといいなと思ってます。
こちらこそ、改めて考える機会を与えてくださって、感謝しています。
ありがとうございます。